”もう一つは、その病気や障害が本人か、場合によっては、両親が、知ってか知らずか、モーセ律法に違反して犯した「罪」に対して神が下した刑罰である、と説明されていたことである(ヨハ九1‐2参照)。すなわち、人間が負う苦難や不幸(たとえば、赤ちゃんが障害を負って生まれてくる場合)がどれほど不条理に見えようとも、つまるところ、その原因は人間の側の「罪」にあるのであって、神の責任ではないというのである。このような考え方は、一方的に神の義しさを弁護するので、「弁神論」と呼ばれる。”
大貫 隆. 聖書の読み方 (岩波新書) (p.122)
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