『私たちの話し方』観た。「話す」とは「思う」と不可分なのだと心で理解できる映画体験だった。ソフィとアランが難聴者としては"上手く""健常者"に馴染めてきたゆえに内面化していしまっているものがあること、また逆に聾者としてのプライドを持って手話を母語として生きてきているジーシンがプライドを持ちながら生きづらさを感じていること、彼らを取り巻く全てがこの世界が"健常者"を中心に作られていることを表している気がした。
今の自分が目と耳どちらかを失うとしたらどちらが怖いかを考えると視覚を失う方が恐ろしく感じるけれどそれは聴者として育って既に文字言語による思考を身につけているからなんだろうなと強く思った。
about 1 month ago