マルティチュードというのは中心から周縁に追いやられてきた存在、すなわち非正規労働者や移民、クィア、障害者、セックスワーカー、野宿者といったような中心的なカテゴリーから逸れた人々の集合体を想定していると思うので、「学生」とか「ノンキャリア組(の会社員)」といった主体を指していうのはそもそも違うだろう。『帝国』のネグリ=ハートは法的権利主体を想定しているのかもしれないが、今日的な状況から考えれば、むしろ「市民」というカテゴリーからも外れた、いわゆるルンペン・プロレタリアートという、現行の法体系・政治体制を問い直すきっかけになるような周縁的存在の集合的な力について向き合うべきではないだろうか。
3 days ago