ブルーオーキッド (@blue-orchid.bsky.social)

露仁港についてカトゥーカ皇国の首都、露仁（ロニ）は、いつもどこか冷たくて、寒い日が続く。夏が来ても、ほんの一瞬だけ空が明るくなるような、そんな場所だ。寒暖差があまりない、なんて言うけれど、プラムにはただひたすらに冷える街としか思えない。彼女は港の近くの路地を歩きながら、凍った石畳に足を取られそうになる。路端では、商人たちが蒸籠から立ち上る白い湯気を頼りに、凍える手を温めている。まんじゅうや小籠包の香りが、霧の冷たさに混じる。物々交換の声を張り上げる者もいるけど、なんだかみんな、顔がさみしげだ。プラムはそう感じる。いや、もしかしたら、自分の心がそう見せているだけかもしれない。彼女はコートの襟をぎゅっとつかんで、港の方へ目をやる。露仁港の冬は、まるで時間が凍りついたみたいだ。桟橋には、凍てつく風が吹きつけ、交易船の帆は氷で白く固まっている。船員たちがロープを叩いて氷を落とす音が、遠くまで響く。港を見下ろす丘の上には、皇都のシンボルである灰色の石造りの宮殿が、どっしりと構えている。霧が濃い日は、その輪郭さえぼやけて、まるで夢の中の建物みたいだ。路地では、商人たちが小さな火を囲んで、蒸籠の湯気に顔を寄せている。プラムは、その火の赤い光を見つめながら、なんだか胸が締め付けられるような気がした。露仁は、日照時間が短い。陽の光が恋しくなるような街だ。米は育たないし、冬になると港が凍って漁業もできない。だから、交易に頼るしかない。市場には、遠くから運ばれてきた品々が並ぶ。たとえば、后里の色鮮やかな絹布。触ると、ひんやりと滑らかで、まるで海の波を閉じ込めたみたいだ。ヤポネシアの乾燥海藻は、しょっぱい匂いがして、プラムにはなんだか懐かしい気がする。ある商人は、遠く南の島から持ち込んだ赤い果実を手に、客に大声で話しかける。「これ、火山のふもとで採れたんだ！甘くて、体が温まるよ！」プラムはその声を聞きながら、火山なんて見たこともないな、と思う。遠い世界の話は、いつも彼女の心をざわつかせる。主食は小麦だ。米がないから、みんな小麦をこねて、いろんなものを作る。まんじゅうはふわっとした皮に、ほんのり甘い餡が詰まっている。小籠包は、噛むと熱いスープがじゅわっと広がって、冷えた体を温めてくれる。ときどき、平べったく伸ばして餅にしたり、水餃子にしたりもする。プラムは、小籠包の湯気を吸い込むたびに、孤児院のことを思い出す。あの厨房で、仲間と一緒に小麦粉をこっそり盗んで、餅を作った。あのときは、笑い声が響いていたのに、いつも最後には管理人の怒鳴り声で終わる。冷たい石の壁に、笑い声が吸い込まれるみたいだった。プラムは、港の向こう、霧の先に、別の人生があるんじゃないかと、ぼんやり考える。カトゥーカ皇国は、北から南まで、豊かな文明が広がっている。露仁は、その中心だ。地図ではわかりにくいけれど、実は小さな島々に囲まれた半島にある。まるで、自然の要塞みたいだ。后里やヤポネシアといった島々が、露仁を守る盾のようだ。昔、ヤポネシアの海賊が攻めてきたときも、この地形のおかげで撃退できた、なんて話を、アーネスト先生が教えてくれた。アーネスト先生は、この辺りの諸島のことを研究しているらしい。先生の部屋には、ヤポネシアの火山の絵や、后里の鳥の羽が散らばっていて、プラムはいつもその話を聞くのが好きだった。「ヤポネシアには、サンカイキョウという図画が何冊もあるんだよ」と、先生は目を輝かせて言う。プラムは、そんな場所、行ってみたいな、と思うけど、すぐに現実に戻される。だって、彼女には行く当てなんてないのだから。冬至の夜、露仁の港は少しだけ賑やかになる。凍った水面に、色とりどりの灯籠が浮かべられるのだ。漁師たちは、来る春の豊漁を祈って、そっと灯籠を水に置く。宮殿の窓からは、貴族たちがその光を眺めているらしい。プラムは、港の端にしゃがんで、灯籠の暖かい光を見つめる。手を伸ばしてみるけど、冷たい空気しかつかめない。孤児の彼女には、故郷なんてないはずなのに、なぜか胸が締め付けられる。想家病（＝ホームシックのこと）、なんて言葉で片付けるには、なんだか複雑すぎる気持ちだ。冬の夜、霧が深いとき、露仁港には橙色の光が揺れることがある。漁師たちは、それを「海の精霊」と呼んで、ひそひそと話す。「あれを見たら、願いが叶うんだ」とか、「いや、船を沈める妖怪だ」とか、いろんな話が飛び交う。プラムは、ただの船の灯だと知っている。知っているけど、時折、その光が自分をどこか遠くへ連れて行ってくれるんじゃないかと、思うことがある。霧の向こうに、暖かい場所があるんじゃないか。凍らない泉や、火山のふもとの赤い果実がある場所が。彼女はコートのポケットに手を突っ込んで、港の風に目を細める。市場の端で、プラムはさっき買ったまんじゅうを手に持つ。冷たくなってしまったそれを、ゆっくりかじる。甘さが、ほんの少しだけ心を温めてくれる。港の喧騒が、遠くで響いている。商人の呼び声、船のロープを叩く音、波の音。プラムは、こんな毎日が、ずっと続くんだろうか、と思う。露仁の寒さも、霧も、彼女の想家病も、ずっと。 https://blueorchid6.wordpress.com/2025/05/17/%e9%9c%b2%e4%bb%81%e6%b8%af%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6/