定信が、「文」は勿論「書」も愛する者である。というところが肝だなぁ。
幼き頃に論語を誦じた秀才は、黄表紙も愛読する。
「ふんどし野郎」には到底わからんだろう、という思惑で周到に配置された黄表紙的記号を、黄表紙読者は読解してしまうのだろうなぁ。
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終始、定信の手のひらのうちにあるように見えた回であった。
(経済・思想的な尺度での)田沼意次vs松平定信の二元論の「物語」に見せて、そして蔦重を「田沼びいき」に見せて、
定信が「物語的欲求」を知っていること/使えること、が世間を動かし、そして蔦重の思惑を超えているということが根底に流れている。そういう回であったと思う。
#大河べらぼう
add a skeleton here at some point
29 days ago