エチカ4部序文では、実のところあまり意味のない語(例えば善悪)が、人間本性の型として人間の観念を形成するにあたっては、その語を"保存"して用いることが有益であるとされている。そこで、度々思うのだが、論理学の形式の例文(例えば「アダム」)は、アダムに対するコンテクストが乗っかっていて、というかあらゆる言説にはコンテクストが乗っかっていて、これには一応こちらとしても乗っているということの意義や動機が私には皆目わからないが、この《保存》の意を企図するならばわかるかもしれない、などと思う。そうじゃないと、話せないことがある(そうじゃないと顕れない欲望がある)、というわけ。
6 months ago