社会運動は個人の救済と直接には結びつかない(結果的にそうなることはあり得るとしても)。にもかかわらず、憂鬱だが、やらなければならない。何一つ不自由ない暮らしをしているブルジョワのガキのなかにだって自殺くらいするやつはいる。それが何かの抑圧と結びついているにしても、生の苦しみは抑圧をなくせば消えるものではない。そういうものを、「彼らの解放は私達の解放でもある」という功利主義の論法による訴えかけで隠蔽するところに、ひとつの否認、ひとつの隠蔽、ひとつの卑怯がある。
add a skeleton here at some point
5 months ago