最初で最後の長義に関する考察
手紙を見るに国広と同じ歴史を修行で見ていて、山姥を切ったのはどちらとも言えな(=初時代のアイデンティティの崩壊)いというのが公式のアンサー
大事なのは自分が山姥を切ってない可能性を知らしめられたけど、自分を傑作として愛した人がいて、自分という傑作を模して写しさえ作られたこと
「山姥切」への執着をなくして「長義の傑作」であることを誇るようになったのは山姥切の伝承より自らは傑作として扱われた事実を優先した結果の産物
最後の審神者への文は審神者が自らを傑作として扱うことへの信頼で、歴史の守り手として審神者が在る限り常に最高の武器として自分も在ることを示してるんだと思う
1 day ago